保育士についてどの位知っているでしょうか。今回は、保育士資格試験を受ける前に保育士についての知識を深めるために、日本における保育士の歴史をご紹介します。 保育士の歴史を語る中では保育園の歴史を欠かすことはできません。明治4年に日本で初の保育園が横浜にできました。日本初の保育園は、アメリカ人宣教師によって「亜米利加婦人教授所」という名称で開設されました。 日本人によって初めて開設された保育施設は、その19年後の明治23年になります。新潟の地に「静修女学院附設託児所」という名称で開設されました。この新潟の「静修女学院附設託児所」をきっかけに、全国各地に託児所が開設されていきました。当時の保育施設は現代の保育園とは若干の趣旨が異なり、母親が幼児を預けるというより、弟や妹の面倒を見ながら学校に通う子どもたちを対象に開かれていた場所のようです。 その後、働く女性のための託児所や、農業の繁忙期に合わせて開設する託児所など様々な形で子どもを預かる託児所が増えてきましたが、この時期のものも現在の幼稚園や保育園とは異なり、保育を行う場所ではなく子守りをする場所として認知されていたようです。
時代は明治から大正に変わり、大正8年に救貧・治安対策として公立の保育所が西から東へと次々に開設されていきました。その後、昭和に入り昭和22年に児童を預かる事柄に関する児童福祉法が制定されます。児童福祉法に基づき昭和23年保育士の前身となる保母資格が誕生しました。保育士資格試験を受け資格を取得する方法は、この児童福祉法の第18条の6に基づいています。 また、この法の制定により、保育所は児童福祉施設として法的な施設となりました。この頃、保育士資格試験を受験する人は女性が多く、保育所で働く人は「保母さん」と呼ばれていました。
昭和60年に「男女雇用機会均等法」が制定され、男性も保育に関わる人が増加し、保育士資格試験を受験する方も少しずつ増えてきました。しかし、まだ保育士の名称で呼ばれることはなく、女性の保育士は「保母さん」男性の保育士は「保父さん」と呼ばれていました。公的な書類の職業欄には男性でも「保母」という表記をしなくてはなりませんでした。男性の保育士資格試験を受ける人が増加しても世間的には「保母さん」の名称を使用しなくてはならない現状に、当時は多くの意見が寄せられていたようです。 平成11年に行われた男女雇用均等法の大幅な改正に伴い、ようやく保育士という名称が登場しました。名称の変化によって保育士資格試験を受験し保育士となった男性が、平成14年から平成17年には10倍の人数になったと言われています。保育士の需要と男女雇用均等法の改正により、多くの男性が保育士資格試験を受験したと考えられました。 また、平成15年に児童福祉法の変更があり、保育士資格は民間資格から国家資格へと変更になりました。国家資格への変更により、保育士として活動するには、保育士養成施設に通う、もしくは保育士資格試験に合格することで保育士資格証明書を取得することに加え、都道府県知事に対し登録手続きを行い、保育士証の交付を受けることが必要となりました。 一見保育士として働くための手続きが複雑化したように見えますが、保育士資格試験受験後、保育士証を取得することによって、保育士資格試験を受けていない保育に対する知識のない無免許の人が保育士として働くことを阻止することにも繋がった変化であると言えます。
保育士資格試験は8科目の筆記試験に加え、3分野から2分野の実技を選んで試験を行います。資格試験としては、簡単な試験ではありませんが、子どもの健やかな成長を手助けする責任ある職業に従事する上で、保育士資格試験に向けての勉強は、正しい知識を身に付け、適切に子どもと接するために必要不可欠です。 資格を持っていることは就職の際の大きな強みになります。特に保育士は国家資格です。資格を持っていれば求職や、再就職も有利となる資格です。結婚と同時に退職し、子育てが一段落してから就職を探す際には、ライフスタイルに合った仕事を探すことが難しいケースもありますが、現在は共働きの夫婦が増え、保育の需要が増えています。保育園などでも短時間勤務などの採用、派遣としての仕事など保育士として働きやすい環境に変化しています。保育士としての資格を取得することで就労の幅が広がることでしょう。 保育士資格試験の歴史は古く、社会福祉に関連した資格の中では日本では最も古い資格であると言えます。保育士は、子どもの成長過程の中で最も重要な幼児期の子どもたちを見守る責任のある職業です。国家資格であり、何歳になっても活躍できる職業ですので、保育士資格試験に挑戦してみてはいかがでしょうか。